色んなかたち

SNS見てると人の幸せが羨ましくなってた時期があって、それと自分を比較して劣っていたりすると病んでたりしていた。

 

今思うと比較する事に何も意味が無かったのになぜしてたのかなと思ってしまう。

 

人に羨ましく思われる人生を生きたいとかっていう希望ってなんで昔はあんなにも合ったんだろう。

 

そもそも論。

私は世間体的に言えば普通の生活もして来なかったし、それを望んでも居なかったと思う。

 

15歳で一度フリーターをしてみたり、19歳から社会人初めてみたり、21歳からフリーランスと謳って実際にはフリーターだったり、24歳で開業したりと、目紛しく人生を生きてる。そういった変わりまくる人生が好きだったりもしてるから今も程よく心地よい時間軸で時が流れて行き生活をしている。

 

 

常人には理解されない。って言葉はカッコつけすぎてて若干痛いので、あまり使いたくないけども、まじで私は普通に生きるのが向いてない。

 

どこまでいっても自分のわがままに目を向けて生きてる。可愛がり過ぎもいい所だ。

 

 

この感覚って私個人だけにしか影響が出ないから気に入ってだんだけども、最近はそうでもない。

 

生活のほとんどに存在する恋人が、まさにそう。影響というか思想が同じ感じで、遂に恋愛に対してもこのわがまま思考が通用するなんて。全く驚いたものだ。

 

 

対誰かが居たらある程度のラインまでしか共感が出来ないので、抑えながら生活する事も慣れてる。なので、恋愛でもそれは可能。今まではそうやって来ていたので、当たり前だしこれは仕方ない。恋愛という対相手がいる環境まで持ってくるのはわがままが過ぎるとまで思っていた。が、そんな事までも許してくれる彼と今一緒にいれてる。

 

ご縁や運やタイミングのお陰だ。すごいなぁ。。

 

 

 

あまりにもSNS時代過ぎるが故に、私生活のいい事も悪い事も賞賛(いいね)を受けてなんぼ。みたいな空気感。

そこが評価基準になっている。

 

変わった世の中になったもんだなと。

 

 

 

私の仕事や生活をいいなと思ってくれる事は素直に嬉しい。とても嬉しいよ。

やっぱり気分は良くなる。

 

 

 

ただ、多くの人によく思ってもらう事が全てな訳でも無いし、結局全てを知っていて、感じ取っているのは当本人だけだから、その人達が満足したり、これくらいが丁度いい、心地よいと思えば、いいんじゃないのかなと最近思う様になった。

 

根本的にそういう思想だったんだけども、カテゴリーを勝手に分けて生き方や感じ方まで分けて、曲がりに曲がって自分を生き辛くしていたんでしょう。

 

 

これに関しては双方の感覚の同意が出来ていたらの話なんだけども、嬉しい事に私の恋人は似てる思想だったので、心配しなくて良かったじゃーんって。感じです。

 

 

なので、私達や私の大惚気SNSを見てよく思わない人はそっとミュートしてもらってもいいし、面白おかしく一つのアイコンとして見てもらえてるならそれはそれで楽しんでもらえたら嬉しい。

 

 

仕事も恋愛も私生活も超わがまま。

スーパーポジマイ陽キャで最近はやってるけども、紆余曲折の人生の結果がこれです。多分根はそんなもんだったんでしょう。

 

これから先もそのつもりなので、皆さんが思いたい目線で見て下さい。

 

なんだかんだで見守ってくれてるあなた達が居てくれることはとても幸せだよ。

わがままに生きてる私を許してくれてありがとうと思ってます。